12 ジオンの脅威
「ジオンの脅威」というタイトルだが、脅威というより「立場の逆転」が今回のテーマである。これまで連邦軍は襲いかかってくるジオンに対し、たとえば新兵器のモビルスーツで、たとえば新しい高性能の戦艦で、たとえばクルーのチームワークで、たとえばその戦争目的の正しさで、戦い、勝利してきた。が、今回これが完全に逆転する。
アムロのPTSD
まず前回イセリナから「敵(かたき)」と言われたことで、アムロのコンディションが急変する。浸食も忘れてコンピュータいじりに集中するアムロ。
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前回ガウに少しつっこまれたくらいでまったく動かなくなったガンダムなので、予備のコンピューターをいじるアムロの行動はたしかに非常に合理的ではあるのだが、その熱中は明らかに度を越えている。
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「食べなくちゃ」とフラウが差し入れしてきたサンドウィッチを食べるアムロ。こんなにまずそうで長い食事シーンもあまりないのではないか。
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そしていざ出動する段になっても完全にまっしろになってしまったアムロの瞳。殴りながら「しっかりしろ」などとリュウはたきつけるのだが、アムロの調子はそれでも戻らない。呼吸も苦しそうだし、セイラの呼びかけにも上の空。
リュウ:実はアムロが新米の兵隊のよくかかる病気になっているんだ
とのことなので、これは「アムロだからなった」というよりは「新米兵士の通過儀礼」のようなものだとも解釈できるが、とにかくエースパイロットがそんなコンディション最悪の状態のところに、連邦の十八番を今回ジオンはすべて「やりかえす」。連邦の十八番とは? ①新型のモビルスーツ、②チームワーク、③戦争目的の正しさだ。
連邦の十八番を奪っていくジオン
①新型モビルスーツ
まず、今回、はじめてザク以外の新型モビルスーツが登場する。ランバ・ラルが操縦するグフだ。 https://gyazo.com/fa7400fa1b03e1e6387f346457727200
これまで新型モビルスーツにビビるのは常にジオン側だった。が、このグフの登場で今回それが逆転する。
アムロ:や...やってやる やってやるぞ! 新型のモビルスーツが何だ!
アムロのこのセリフなど、これまでのジオン兵士の発言とまるっきり同じであるし、
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グフがシールドでガンダムのサーベルを防ぐシーンは、これまでザクの斧をガンダムがシールドで防ぐシーンに瓜二つ。もう完全に立場が逆転している。 細かいところではあるが、グフが登場シーンのBGMも、ほとんど正義のヒーローかと錯覚するような勇ましさである。(『機動戦士ガンダム』ではガンダムの登場時にはヴィラン的な不穏な音楽を流すといった演出をよくしている)
ホワイトベースというその性能が未知数の戦艦も連邦の強さの秘密だった。ところが今回、ジオン側からザンジバルという新型の戦艦が登場し、撤退用の巨大投光機などアムロたちが体験したことのない兵器を見せつける。これまた十八番のやりかえしである。 ②チームワーク
連邦がこれまで勝ってきたのは、ホワイトベースクルーのチームワークのおかげだった。連邦サイドは確かに戦いに不慣れで練兵度も低く、能力もデコボコなのだが、そのデコボコが上手く組み合わさることで、これまでなんとか戦いに勝ってきた。これに対し、ジオンは、主にシャアとガルマの齟齬など、チームワークの悪さ、結束の悪さが目立つ。この隙があるため、ジオンは連邦に敗北を喫してきたと言ってもいい。
ところが、今回襲いかかってきたランバ・ラル隊には微塵も隙がない。ランバ・ラルはガルマのように功を焦って突撃したり、状況を読み違えるようなことがない。妻のハモン・ラルはザンジバル艦隊をミライと同じくらい的確に取り仕切っているし、ランバ・ラルとともにザクで出撃するアコース、コズンといったパイロットもラルの指示に忠実に従う。そのチームワークは抜群である。
このランバ・ラルの「手堅さ」はシャアと比較しても独特で、ホワイトベースがこれまで体験したことのないタイプの「敵」であることにも注意。シャアが大好きなのは奇襲、策略、虎穴に入らずんば虎子を得ずの「ハイリスクハイリターン」戦略なのだが、ランバ・ラルの持ち味は「カッチリ」「王道」。だからこその「やりにくさ」がある。
戦う目的がわからない
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それでも連邦が強いのは、連邦に肩入れしたくなるのは、連邦政府側がおそらくは「正しい」からだ。なぜ正しいのかの説明はこれまでほぼほぼないし、それどころかホワイトベースクルーを都合よく使い見捨てておくなど、正直連邦も「上のほう」は相当腐ってるのではないか?という疑念が都度浮かぶものの、それでも確実で決定的な理由がない限り、「主人公サイドなんだから、基本やってることは正しいんだろう」という前提で視聴者もなんとなく連邦vsジオンの戦いを見てきた。
が、8 戦場は荒野でも描かれた通り、結局、ガンダムがたくさん活躍するとは「また新たな未亡人を増やす」ことでしかない。さらに11 イセリナ, 恋のあとで描かれた通り、ガンダムやアムロは敵(てき)から見たら「敵(かたき)」でしかない。 そんな中、完全にメンタル病んでるアムロに対し、ここでギレン・ザビがこれ以上ない精神攻撃をしかける。ジオン国民への演説の全世界実況である。 ギレン:地球連邦に比べ我がジオンの国力は30分の1以下である / にもかかわらず/ 今日まで戦い抜いてこられたのはなぜか!? / 諸君! 我がジオン公国の戦争目的が正しいからだ! 突然画面にギレンの顔がうつったので「え?どういうこと?」「どういう仕組み?」「何されたの?」と思ったが、
ブライト:ジオンめ...当てつけに実況放送を世界中に流している
だそうである。敵国領地まで自由に実況放送できるようなメディア環境なら、モビルスーツよりも思想戦・情報戦のほうが強いのでは?? ポカンとしてしまったが(自分がギレンなら毎日こういう演説を繰り返すと思う)、大事なのはこのギレンの演説がジオン国民への、そして全世界への呼びかけであると同時に我々視聴者への呼びかけでもあるということだ。
今まではなんとなく、ホワイトベースのほうが「多勢に無勢」だし、追い詰められているし、それでも「正しいから」勝っているのだと思っていた。が、ギレンに言わせればこれは真逆である。国力で強いのはジオンではなく連邦のほうでその差はなんと30倍。それでもジオンが「負けていない」のはジオンの戦う理由が「正しいから」と言うのだ。
ギレン:一握りのエリートが / 宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して50余年! / 宇宙に住む我々が自由を要求して / 何度連邦に踏みにじられたかを思い起こすがいい / ジオン公国の掲げる / 人類一人一人の自由のための戦いを / 神が見捨てるわけはない! (......)諸君の父も兄も / 連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ! / この悲しみも怒りも忘れてはならない! / 我々は今この怒りを結集し連邦軍にたたきつけて / 初めて真の勝利を得ることができる! / この勝利こそ戦死者全てへの最大の慰めとなる! / 国民よ立て! / 悲しみを怒りに変えて立てよ国民! / おそらくこれまでの漫画やアニメの「悪者」は(A)強大な力と(B)「世界を支配する」など自分たちですら認める悪い目的を持っていた。が、ジオンという「悪者」は連邦政府に比べると、(A')たった1/30の力しかない、(B')人類の自由のために戦ってるのである。
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ここで機動戦士ガンダムのオープニング曲が脳内に響きわたる。
まだ怒りに燃える闘志があるなら 巨大な敵を 討てよ討てよ討てよ
てっきり「怒りに燃え」て「巨大な敵」と「闘」ってるのはアムロ=ガンダムサイドだと思っていたが、そうではない。「巨大な敵」とは連邦政府のことで、アムロはガンダムは「正義の怒り」をぶつける側ではなく、ぶつけられる側である。もう完全にホワイトベースはジオンに十八番を奪われている。
当然、ギレンの演説はギレンの、ザビ家の、ジオンの一方的な言い分でしかない。
ブライト:何を言うか / ザビ家の独裁をもくろむ男が何を言うのか! だからブライトも言い返すのだが、それを言ったらブライトの言い分もブライトの、連邦政府の一方的な言い分でしかないし、アムロがガンダムが「正義の怒りをぶつけ」たとしても、それは要するに「ジオンとやってることは同じ」。この時点でもうそこまで事態は相対化されてしまっているのだが、さらに、ここで前回のイセリナの発言が効いてくる。
イセリナ:ガルマ様の敵!
アムロは「僕が敵?」と言い、「敵」という言葉に反応していたし、自分を敵と呼んだ「この女の人」の名前を気にしていたが、これは一番大事なところから目をそらすための精神的防御反応だとしか思えない。一番大事なところとは何か。それはどう考えても「お前が殺した人間の名前はガルマだ」ということだ。(実際にはガルマを直接殺したのはアムロではないが、アムロは自分が殺したと認識している)
アムロは「ガルマ」を殺した。そしてアムロが殺したガルマの死はギレンによって、家族が殺されていったジオン国民の怒りを忘れさせないためだと意味づけられていく。